20140630

プロジェクターたのしい

私は理系だったので大学4年のときに研究室に所属していました。より良い研究のためという大義名分のもと人数分のエアベッドを買ってもらったり、シャワールームがあったり、学校が半分家のような研究生活を送っていました。

そのなかで思い出に残っているのが、研究室のプロジェクターを使って壁に映した大画面でプレイするゲームでした。テレビのそれとは比べものにならない迫力で、ピザをデリバリーしてみんなで遊びました。

その楽しさが忘れられず、先日パナソニックの業務用プロジェクター(中古)を手に入れました。ゲームはもちろん楽しいですが、PCをつなげて映画やYouTube、ダラダラとネットするのも新鮮です。たぶん未来の部屋にはモニタは無くて、壁にむかって何かする感じだと思います。

テレビ番組はあまり見ないけど映像コンテンツは見る、という人はプロジェクターも選択肢に入れると良いかもしれません。インチ単価(笑)でもテレビより安いかもしれないですし。

20140620

勝負哲学

日本のサッカーを世界のベスト16まで導いたサッカー界きっての勝負師・岡田武史氏と、稀代の天才棋士と呼ばれる羽生善治氏の熱戦対論「勝負哲学」のマイ・ハイライト。

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✔ 研鑽を積んだ者にしか「いい直感」は働かないはずです。

✔ 「わかる」ことをきちんと押さえておけば、「わからない」ことへの対処の幅も広がるということです。

✔ 前向きな開き直りは勝負強さに通じます。

✔ 照準や標的の周囲の景色も視野に入れながら集中するんだそうです。つまり「全体に集中する」、それが大事なんだそうです。

✔ 「一流は一流によって理解される」

✔ リスクテイクをためらったり、怖がったりしていると、ちょっとずつですが、確実に弱くなっていってしまう

✔ 一ミリの差でも勝ちは勝ち

✔ リスクをとることこそリスクから逃れる最高のすべです。

✔ 結果的にうまくいったか、いかなかったかではなく、そのリスクをとったことに自分自身が納得しているか、していないか

✔ 世の中にまったくの独自性、完璧なオリジナリティというのはないような気がするんです。

✔ 最新情報を取り込んでいないと最前線では競えない

✔ 予選最終戦のイラン戦の前夜、家内には「勝てなかったら、当分、日本には住めない、しばらくは海外暮らしを覚悟しておいてくれ」と電話しておきました。

✔ 可能性に比例してプレッシャーも高まる

✔ 「勝てる」と確信してからの最後の三手は、震えながらの着手となってしまって、マス目にうまく駒が置けず、自分でもちょっと困りました。

✔ 不調も三年続けば実力

✔ 精神の安定に重要なのは生活なんですよ。

✔ 指導の本質は、教えるのではなく引き出すことにある

✔ エデュケーションの語源はラテン語のエデュカーレで、まさに「引き出す」という意味

✔ 私は選手といっしょに酒を飲まないんですよ。

20140619

フレッシュコーヒー・マニフェスト

雑誌『WIRED』VOL.12 特集「コーヒーとチョコレート:次世代テック企業家たちのニュービジネス」のなかのEDITOR’S LETTERがとても素敵でした。

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フレッシュコーヒー・マニフェスト

お酒がダメなので、昼でも夜でもやたらとコーヒーを飲む。スタバはタバコを吸えないし、深夜はやってないので却下。深夜であれば何杯でもおかわりできるファミレスが望ましい。そこで、友人と延々与太話をしたりする。ほとんどはロクでもない内容だけれども、4、5時間話し続けたあげく、面白い地点に到達することがある。おおげさに言えば、いままでお互いが考えてもみなかった新しい認識にたどりつくようなことがある。気になりつつも放置していた情報やアイデアが思わぬところで結びついたり、ぼんやりしていた企画がくっきりと像を結んだり。新たなパースペクティヴが生まれる、とでも言おうか。

コーヒーが、その本質において一種の覚醒剤で、常習性のあるソフトな麻薬だとするなら、カフェがその発生当初から当局/権力の目の敵にされてきたことは、それだけで説明がつく(中世時代のカイロ、メッカ、コンスタンチノープルなどでの話だ)。けれども、カフェやコーヒーショップが酒場と決定的に違うことがあるとすれば、そこでひとは正体を失うのではなく、文字通り覚醒してしまうところで、そうであるがゆえにコーヒーはさらに権力にとって危険なものとなる。

多種多様なひとがそこに寄り合って情報を交換する。そしてそれについて会話する。断片化されていた情報が、整理された思考として編成される。支配する側からしてみれば都合の悪いことだ。民衆はむしろ、現実から目を背けて酩酊してくれていたほうがはるかに好都合。しかし、コーヒーは逆の作用をもたらす。コーヒーは、そういう意味において、常に反社会的な存在であり続けてきた。

反社会的というのは、批判的ということだ。しかもひとを覚醒させながらもハイにしないのがコーヒーの持ち味。コーヒーの批判力は、あくまでもクールだ。熱狂は似合わない。であるからこそ、カフェは、文学、音楽、科学の揺籃地となりえた。それだけではない。近代保険制度を生み出し(ロイズは元々カフェとしてはじまった)、金融市場を胚胎させた(ニューヨーク証券取引所はカフェの2階ではじまった)ことを思えば、コーヒー/カフェは、近代社会を駆動させる必要不可欠なインフラであったことにさえ気がつく。

デジタルテクノロジーがあらゆる人の手にわたっていくなかで、社会を革新していく主体は、国家、大学、大企業といった大組織から、個人、もしくは小さな組織へと着実に移りつつある。そのとき、新しい思考をもたらす媒介としてのコーヒー/カフェをいま以上に望むことになるのだとすれば、そこでみなが求めるのは、産業化されたコーヒーチェーンではないはずだ。ニューヨークのインディペンデントなカフェの数は、すでに大手チェーンの店舗数を上回っている。そんなことを教えてくれたのは、スクエアのジャック・ドーシーだった。

「サードウェイヴ」と呼ばれるトレンドの真相は、おそらくこんなところにもある。「サードプレイス」と呼ばれる社会学の概念ともどこかで通じ合っていることだろう。大きな時代の変革期にあって、社会は現状の課題を乗り越えてゆくためのアイデアとイノヴェイションを必要とし、そのプラットフォームとして、ひとが、社会が、クールな覚醒をコーヒーに求めるのであれば、コーヒーもまた原初にあった批判精神と独立心とを取り戻さねばならない。

「フレッシュコーヒー」は、本来は単に「淹れたて」を意味するだけだけれど、それだけで済ませておくにはもったいないことばでもある。それは、覚醒しながら自己刷新を繰りかえす冷ややかなアタマと、昨日よりはちょっとマシな世界を静かに夢見つづける温かいココロの象徴であるかのように、ぼくには聞こえる。なんて、つつましやかで、清々しい響きだろう。フレッシュなコーヒー。なんと身の丈にあった革新のマニフェストだろう。

若林 恵 日本版『WIRED』編集長



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